月別アーカイブ

  2006年04月  

スポンサーサイト
TOP ▲
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)
この記事のURL | TOP ▲
1986年~狂犬に気を付けろ
TOP ▲


1986年って言うと、もう20年前になるんですね。最近、完全に「僕の回顧録」的になってしまっていますね。熱のせいなのか視線も幾分遠くを見つめてるような気がするめれんげですが、気にせず進めます。

この年、ある事情により大学を中退(正式には除籍)した僕は地元に帰り知り合いの経営する小さな小さな広告代理店で働き始めました。とは言っても田舎のことですから実際の仕事は広告代理店とは名ばかり、華々しさとは無縁の、地味な仕事でございました。

ただ学生と違い、少ないながらも「給料」をもらう身となったものですから(学生時代のバイト代よりも少なかったが)社会人面して大手を振って飲みに行けるようになり、地味な仕事もソコソコに夜な夜な遊び回る日々が始まったのでした。いくら田舎の弱小代理店とは言え、仕事の性格上いわゆる自営業の方々との付き合いが多く、奇しくも時がバブル夜明け前と言うのも理由だったとは思いますが、何しろ糸の切れたタコの如く、と言った毎日。ついこの間まで学生だった僕にとってそれはそれは刺激的、というより刺激を求めるのが仕事といった感じでした。

その頃付き合ってた彼女が、見た目爽やか・ベイビーフェイスにスリムなボディ(オッサンやな、言い方が)、という僕には似つかわしくない18才(!)だったのですが、その外見とは裏腹にブルース・ソウル好きの大酒豪・・と言う誠に僕にピッタリの彼女でした。その子を驚かせるために、というか気を引くためにそれまで以上に音楽にのめり込んだものです。動機がかなり不純ですが、ある意味では一番音楽を真剣に聴いたのもこの頃だったかもしれません。

マディやハウリン、ジミーリードにスリムハーポと言ったストーンズクラシックはある程度詳しかったものの、ちょっと奥に入るとそこは出口の見えないブルースの伏魔殿の世界。明かり代わりの情報と、喜ぶ彼女の笑顔を頼りにドンドン突き進んで行けば行く程、その魔力に魅せられていく僕でした。ただ、いつの間にか彼女の姿を見失ったのが予想外でしたが・・・

そんな中で彼女の代わりに出会ったのがハウンドドッグテイラー。いまだに僕はこんなに楽しそうに陽気にブルースを演るヤツを見た事がありません。「俺が死んだらパーティを開いてくれ」。お~そうだ、その調子だ~ッ。彼女にフラれた夜にそう心の中で叫びました。下品な笑いを浮かべながら、イヤらしさに満ち溢れたフレーズを、抱えた安物のギターと6本の指でこねくり回す。B級ブルースのチャンピオン。「楽しもうぜ~気分はどうだい?」ってね。酒に溺れろ、ついでに俺のブルースで踊り狂えよ、って歌ってくれた狂犬テイラー。いまだに溺れっ放しの僕にとって彼の雄叫び(にしてはホニョホニョな感じだけど)は本物です。

皆さんはご存知かもしれませんが彼の動画が見られます。ヘナチョコながら腰を動かさずにはいられない姿を是非ご覧下さいませ。

↓ここをクリック

[ハウンドドッグテイラーに気を付けろ!]

スポンサーサイト
[2006/04/27 19:49] | Blues | トラックバック(2) | コメント(6)
この記事のURL | TOP ▲
布団の中でリボルバー
TOP ▲
リボルバー

オタフクで世間から隔離されてもう10日以上。やっと痛みもソコソコになり何とか食事も摂れるようになってきました。しかし一日が長い。とは言っても特に何をするでもない予想外の大型連休、静かに闘病生活を送りながら、今月は休んでしまった月一ライブ、来月からの復帰に向けて色々とアイデアを練ったりしています。

長らく放ったらかしにしてあったCDや、読まずに積んであっただけの本を手に取る時間を作れたのが収獲でしょうか。一年近く置きっ放しだったリリーフランキーの「東京タワー」、絶対に泣くもんか~と気合を入れて読みましたが、敢え無く術中にハマりボロボロ泣きでした。でも面白かった。リリーのエッセイのセンスは大好きだったんですが、ああいう小説の中でも随所に見え隠れする彼のサービス精神溢れるユーモア感覚にも脱帽です。

で、体が弱ってるにも関わらず、ヘビーローテだったのがこの「リボルバー」。「Here There And Evereywhere」で体を癒すのが目的だったのですが、超絶のスイートメロディを包むソウルな世界に引きずり込まれたのが運のツキ。いても立ってもいられなくなっちゃいました。ゴリゴリの固くて冷たいファンクチューン「Taxman」、眠気を誘いそうなのに寝かせてくれない「Im Only Sleeping」。病気の時に聴くもんじゃありません(笑)。何たってサイケのハシリですから覚醒されて当たり前。

でも「ラバーソウル」がジョンのアルバムだとすれば、この「リボルバー」はやはりポールの物。その後の主導権の変遷を見れば明らかですが、それにしてもこの時期のビートルズ、というかこのバンドと同じ時代を生きられなかった自分が悲しい・・と改めて後悔してしまう程の超名盤です。

何たってこの「リボルバー」に同時期にレコーディングした「Paperback Wrighter」と「Rain」が入ってないんですから。この2曲を入れなくても素晴らしいと言われる程の物を作りあげてしまった彼ら、音楽の神様、あまりにも肩入れしすぎじゃないですか。

ポールの才能全開のこのアルバムですが、ジョンには「Tomorrow Never Knows」があります。当時の録音機材の限界を超えるその音世界は彼ならではのもの。と、ついつい弱った体にムチ打って力が入り過ぎてしまうのでした。

個人的には「She Said She Said」が大好きです。何て事はないR&Rでさえ変拍子や奇妙なコード進行を取り入れて普通には終わらないヒネくれたジョンのセンス。そして改めて聴いたこのアルバムが好きな理由は、やっぱりゴキゲンなギターサウンドだったからでした。早く全快してギターを思い切り弾きたい、って思わせてくれる。ありがとう。


[2006/04/25 09:54] | Beatles | トラックバック(0) | コメント(2)
この記事のURL | TOP ▲
1985年~最初で最後の大学祭
TOP ▲


41才にしてオタフクを患ってしまい、激痛と高熱と顔面変形と戦っています。もう子種は要りませんから、とりあえず固形物が食べられるようにして下さい。液体と薬と点滴だけの毎日は何とも味気無いものです。いくら液体とは言え、酒はさすがに自重してます。でも酒の無い夜の過ごし方を知らない僕にとって肌寒い春の夜は長くて辛い。その上、一応は感染病なので家族とも隔離され・・心ある方、コメントください・・・

と、情けなくもカッコ悪い書き出しでスミマセン。まさかとは思いましたが本当にオタフクです。でも「オタフク」って何ともマヌケな病名だ。正式名称は何て言うんだろ。まぁいいや。早く酒飲めるようになりたい。少々お待ちを。

で、今回は1985年、僕も20才になり公式に酒をガツンと飲めるようになった頃の事です。この年の思い出と言えば大学祭です。どのサークルにも所属してなかった僕は前年まで大学祭とは無縁でした。が、この年は同じクラスのモリ君の紹介で、バンドをやる為に一時的に「オリジナルソング研究会」(スゲェ名前だ。本当に研究してたのか?)というサークルに入会し学祭デビューを無事果たしたわけですが、そのバンドで出会ったのがこのブログにもリンクしてあるfunkystuff君でした。

ラインナップは僕がボーカル、funky君とモリ君がギター、ニシキ君(サークルの部長)がベース、そしてエッちゃん(アルフィーの坂崎似の女の子)がドラム。言わばストーンズスタイル(5人というだけですが)のバンドでした。選曲は僕とモリ君とfunky君でやったわけですが「Walking the dog」「Live with me」「I got the blues」と言ったストーンズナンバーに、ドアーズの「Love me two times」やTレックスの「Teleglam sam」など、と、かなりフレキシブルと言うか何でもアリの様相でしたね。でもモリ君とfunky君のギターのコンビネーションはなかなかのもんでしたよ。ただ「オリジナルソング研究会」のわりには全部カバーで、ただただ目立ちたいだけ!ってのがミエミエでした。

当時なぜか僕はTレックスがお気に入りで、ほとんど毎日のように聴いてた時期でありました。グラムの帝王なんて呼ばれてましたが、動く姿なんて見たこともなく歌詞の意味もわからずのまんま、ただただそのサウンドに惹かれていたんだと思います。重厚な音の中でこそ光るあのギターのカッティング、そして人間の快感と不快感のスレスレを不安定に紡ぐマークボランの声。それと音を聴くだけで、触れてはいけない「背徳」といった匂いを感じ、当時の僕にはたまらなく魅力的で、快感のツボを刺激してくれました。

でも今聴くときっと痛みが増すだろうなぁ、あの音は。

あっ!思い出した。20年前から頼んでる学祭のテープ、そろそろコピー頼むよ、funkystuff君。俺もズイブン長いこと借りっ放しのDVD返すからさ。
[2006/04/16 19:40] | R&R | トラックバック(0) | コメント(7)
この記事のURL | TOP ▲
1984年~嫌んなった?いや、捨てたもんじゃない
TOP ▲


めっきり春らしくなってきました。学生時代からの刷り込みなのか、やはり4月は「スタート」と言う気持ちになりますね。桜も満開の時期を過ぎ、雨でも降ればもう終焉へのカウントダウン、と言った所でしょうか。僕の25周年イヤーがきっかけでいつの間にか年別に何となく書き続けてるこのブログ、せっかくですからそのまま行く事にします。次は1984年。

大学生活を横浜で過ごしていた僕ですが、春夏冬の長い休みを利用しては帰省し、地元でのバンド活動に力を入れてました。当時はまだバンド人口がそれほど多くなかったせいもあり、ライブをすれば客は入るし「ファン」と呼べるような人達も現れて、ちょっとした人気者気分を楽しんでいたりしました。そのバンドではストーンズやフーのカバー、そしてオリジナル曲をやっていたのですが、ある日近くのショッピングセンターで買い物をする為に駐車場に車を停めると、隣に停まってた車の中のカセットケースに、僕のオリジナル曲の曲名、そして「○○命!」と書いてあって、ちょっと怖くなって車を移動した、なんて事も(笑)

当時僕は、日本のロックに全く期待感を持てなかった。今考えると自分自身の興味の対象が洋楽に移行していた時期だったわけですが。あれほど夢中だったルースターズは大江の変貌と共に深いエコーを効かせた遠い彼方に行ってしまい、ロッカーズは既に解散、ARBからは田中一郎とサンジが抜け、RCも一時の勢いを無くし(あの盛り上がりから比べれば、ですが)、まともに聴いてたのはモッズとスライダースくらい。僕たちの世代と後の世代を計る物差しとしては、たぶんボウイ~BOWIE(スペルあってる?)だと思うんだけど、僕自身はあの音には全く何も感じなかった。

そんな中、当時初めて憂歌団を観たわけです。「天使のダミ声」と呼ばれる木村のボーカルはオリジナル。特に後年顕著になるバラード系での発声は、一音一語をハッキリと発音すればするほど聴き取れない、という何ともやり切れない気持ちを誘うし、内田勘太郎のスライドギターはブルースはもちろん南国への入り口にいざなってくれそうな高揚感を味合わせてくれました。そしてその頃は気づかなかったけど花岡、島田の鉄壁のリズム隊がそれを支えていたわけです。
ライブでの独特のMCと、酒を飲みながらというバースタイルの客席の雰囲気(全国どこへ行っても「アホ~」と叫ぶヤツがいるらしい)に圧倒された僕にとって「こんなやり方もあるのか」と少し新しい気持ちで音楽に対して向き合うキッカケとなりました。エレキ一辺倒だったスタイルからアコースティックへの目覚め、と言いましょうか。その割にはどこで見たのか覚えてない(笑)その後かなりの回数見たからかもしれませんが。

kimura_main.jpg


そんなこんなで憂歌団との出会いは心地よく始まり、活動を休止している今でも何となく続いています。木村や内田勘太郎も良くこの辺に来るしね。その上、島田さんとはプチ共演もしたし(自慢)。噂には聴いてたけどあの人のブラシは日本一だと思います。

嫌んなってる暇はないよ。やりたい事をやりたい風にやり続けようよ。あとのことは知らん。そんなことを10代最後の年に僕は憂歌団に教わりました。
[2006/04/09 21:19] | R&B | トラックバック(0) | コメント(3)
この記事のURL | TOP ▲
| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。