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  2006年06月  

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1989年~覆面バンド タイマーズ
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少々長いですが2001年の忌野清志郎の某雑誌でのインタビューを引用します。

「カバーズが、原発反対問題を歌ってるので当社(東芝)としては発売できませんと言われたんですよ。ホテルに呼ばれて。もうジャケットもできあがってたんだけど。で“断腸の思いで言うけどこれは発売できないんで、全部おたくに返します”って言われたわけ。原盤もジャケットも全部、無償で。なんでだって言ったら“素晴らしすぎて発売できません”っつーわけよ(笑)だったら違約金みたいな金を払いますと。50万とか言ったのかな。そんな金じゃ役に立たないつって帰ったんですよ。あんたみたいなヤツがロックバンドを潰していくんだって捨て台詞吐いて。で、灰皿があったから投げようと思ったんだけど、ウッとこらえて帰ったんです。」

「そしたらまた次の日、もう一回話そうってことでまた同じホテルの同じ部屋に行ったの。そしたら金額が上がってたんですよ。それも大した金額じゃないんだけど、今思えば。じゃあ素晴らしすぎて出せないんだったらそれを新聞に発表してくれって言ったんですよ。それで発表されて。その次に会った時に原発を歌っちゃいけないっていうのはわかったけど、あとは何を歌っちゃいけないんだって聞いたわけ。大麻とか麻薬関係はいいんですか?って聞いたら、それはいいっていうわけよ。ああ、そうかと思って。それでタイマーズって言うのを、一挙に(笑)」

これが、前年に発表されたアルバム「カバーズ」発売中止の真相、そしてタイマーズ結成の由来だそうです。清志郎はわりにインタビューなどではわざといい加減な受け答えをすることが多いんですが、これは結構真実味がある。て言うかまぁホントのことなんだろう。これがキッカケで彼は本気で引退を考えたとも語っています。

「カバーズ」に関しては色んな所で語られていますので詳しくは触れませんが、「反原発」(清志郎自身は反核であると主張)だけで括られるにはあまりにももったいない「素晴らしすぎる」アルバムです。RC版、ジョンレノンの「ロックンロール」とも呼べる選曲に、「超訳」と呼ばれる手法で書き上げた歌詞を乗せて、仲間を集めてワイワイと作った、本当に楽しいアルバムです。その上、彼ら特有のユーモア(スキャンダラスな部分も含めて)もタップリと注入されてます。

上記の発売中止騒動により急遽古巣のキティレコードから発売(それも終戦記念日に)された「カバーズ」はチャートの1位を獲得。その売り上げを無視出来なかったのか、東芝EMIは日比谷野音でのライブビデオ「コブラの悩み」を発売。その一曲目「アイシャルビーリリースド」で痛烈に東芝を批判しました。器が大きいのか小さいのかわからんぞ、東芝。

そして、その「カバーズ」の楽曲をNHKとFM東京が放送禁止に指定した為、怒りの矛先はそちらに。で、有名なフジテレビ「夜のヒットスタジオ事件」が勃発(笑)するわけです。カッコよすぎるぞ~清志郎。じゃなかったタイマーズのゼリー(笑)

動画はコチラ↓
タイマーズ「夜のヒットスタジオ事件」のビデオ

夢中で聞いてた高校時代はもちろん、今でも清志郎のやる事は気になるし、音も昔ほどでは無いもののチェックしている僕ですが、彼独特の「自分はダメなヤツだ」「いや、でも悪くない」という振れ方に共感します。そしてロックは常に反体制である、という揺るぎない姿勢にも。バブル絶頂の80年代最後の年に出てきたタイマーズは、RCサクセションというバンドを消滅させる一因にもなりましたが、日本のロックのあり方を問う重要なバンドだったと思います。本当にロックかどうかを計る物差しのような。

「ロックでメッセージを伝えるのがダサい、なんていうヤツはロックをわかってないと思うな。」
~忌野清志郎。


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[2006/06/25 11:09] | Japanese Rock | トラックバック(2) | コメント(9)
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1988年~素晴らしきストーンズイヤー
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梅雨ですね。いつもの事ながら更新してない間にも色んな事がありました。お元気ですか、ボチボチ始めます。

で、唐突に1988年。この年は個人的にも思い出深い年なんですが、音楽人生的にもかなり印象の残る年でありました。まずは3月に、何とロンウッドとミックジャガーがそれぞれソロで来日を果たしました。今考えると信じられない事ですが、当時はストーンズが日本でライブを行うこと自体が不可能である、と思われていた頃。だからミックが来日公演を行う!というニュースは日本全体を揺るがしたものです。ちょっと言い過ぎかな。でもロニーがボー・ディドリーとやって来る!というニュースも日本中のストーン達の心を確実に揺るがしました。でね、凄かったんですよ。僕、自慢ですが行きましたから。名古屋に。何たってあのR&Rの生ける伝説、ボーさんと、ロニーさんですよ、シラフじゃいられませんでした。「ロードランナー」に「クラッキンアップ」に「モナ」を、あの四角いギターを抱いた太っちょボーさんが歌うんですもん。マラカスのソロ(長かった~)も披露するは、ギターの弦も張り替えるは(これも長かった~)おじさんは絶好調。そしてロニーは相変わらず控えめなサポートぶりを見せて、ソロのコーナーではスライドのソロはもちろん、涙ナミダの「ウーララ」までやってくれて、キャパ3000人(!)ほどのホールが、行ったことないけどシカゴのブルースバーに早代わりしたようなムードでした。あまりにも感動した僕は人生最初で最後の出待ちをして会場から出てきた二人との遭遇に成功。ロニーに同行していた奥さん、キレイだったな~。

で、その数週間後、今度は大阪城ホールでミックのライブ。開演前の会場の盛り上がりは異様でした。もちろん僕も、でしたが。ソロアルバム「プリミティブクール」を出した直後だった為にそこからのナンバーが多数を占めると思っていたら、いきなりオープニングが「ホンキートンク」。もう大爆発でした。何しろストーンズナンバーのオンパレードで、ソロアルバムからの曲はたったの5~6曲(笑)。何となく予想はしていたものの途中で「これでイイのか?」なんて思い始めてしまい、案の定周りから「キース~」「チャ-リ~」なんて歓声は飛ぶし、挙句の果てには「そこのギター弾いてるヤツ(ジョーサトリアーニ)キースの真似して弾くな~ッ」なんて罵声も飛び始めて、開演前の盛り上がりとはちょっと違う異様な盛り上がりを見せていました。でもこのライブを見て、その頃解散モードに入っていたと思われるミックは、絶対にストーンズを再始動させるだろうなぁ、ということを実感しました。そういう意味では貴重な体験、でも初の生ミックですからね、悪いはずはない。これまた大感動の夜だったことは間違いないのですが。その証拠にハイになり過ぎた僕たちは同行の友人を大阪から浜松までの500kmをノンストップで車で送っていったんです。ねぇ、funkystuff君。

そして秋口、まさかまさかの大御所キースのソロアルバム「トークイズチープ」が発売されました。ちょうど横浜に遊びに行っていた僕はホテルの部屋でラジオを聞きながらベッドに寝転んでいました。すると、聞き覚えのないフレーズが聞き覚えのあり過ぎるギターサウンドで流れていたんです。飛び起きて耳を澄ますとまたまた聞き覚えのある声が。それが、噂には聞いていたけどまだ発売前だった「テイクイットソーハード」でした。嘘みたいな出来すぎた話だけど、正真正銘ホントの話。サンキュー、キース。あまりの気持ち良さに、その夜は横浜西口で飲み過ぎの為、道端で寝てしまい、警察官に優しく起こされました。何だか自分がキースになったような気がして悪態をついたらしく(恥)あやうくホテルじゃなくて警察に泊められそうになったみたい。って他人事だな。記憶がないんです。これもホントの話。だと思う・・・
[2006/06/22 20:35] | Rolling Stones | トラックバック(0) | コメント(5)
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